天理高校(夜間部)の思い出
昭和46年3月、中学校の卒業式にも参加せずに慌ただしく熊本(阿蘇)を後にして、奈良県にある天理高校の夜間部に入学した。この学校へ進学した理由は簡単で、当時のわが家は近所でも有名な超貧乏家庭。全日制の学校へなど行く余裕がなかったからである。家が天理教の信者だったということもあり、天理へ行けば”学費がタダで給料まで貰える”という理由だけであった。ちなみに熊本の全日制高校へは合格していたが・・・。
父親は東京大学の理学部まで出た立派な人(教員:熊本商業大学付属高校や君が淵電波工業高校など複数校へ行っていた様子)であったが、お金や着るものにはまったく無頓着。いつも同じカッターシャツを着て、胸に自慢の赤ペンをさしスーパーカブで颯爽と出勤していた。学校から給料を頂けば半分は本に代えてくるような(家族の生活のことなど考えない)人であった。その挙句、我々家族を残し43歳の若さで”勝手に他界(病死)”。残した財産は2部屋ほどの原子物理学や量子力学の難しい本ばかりである。こんな本、世間の人には全く受け入れられず財産価値はゼロ。古本屋が一番嫌がる本である。結局、奈良の天理大学付属図書館に全て寄贈しましたが・・・。
*私の父親がよく使っていた言葉(論語)
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、和而不同(わじふどう)
こんな訳で、小さい(中学生)ながらも当時の私は”母親と兄弟は自分が守る”という気合だけで生きていたような気がする。
高校時代の給料、後の自衛隊時代の給料は決まって熊本の我が家へ送金していた。そのおかげで大分大学大学院へ進学したときには入学金は兄弟が援助してくれている。
*現代版予科練、天理学寮「陽心(ようしん)療」。 笑って聞いてくださいよ!
さて天理高校での寮生活、最初の一週間は”何と住み心地がいいとことへ来たもんだ”と思うほど先輩たちがやさしく接してくれていた。ところが一週間を過ぎたころから状況が一変する。今まで優しかった二年生が急に怒り出した。”おいお前たち、いつまでお客さん気分でいるんだ!”である。これからが体育会系天理高校の本領発揮です。四年生は神様(夜間なので四年生が最上級生)、三年生は普通の人、二年生は指導係、一年生は使用人という最悪生活の始まりです。一年生の態度悪いと三年生が二年生を集めて説教します。二年生は一年生に対して直接、体を張ってのご指導です。当時、四年生のほとんどは顔に髭を生やしていて、怖くてとても近づけません。本当に神様に見えましたね・・・。
まずは朝起きて食堂に行き先輩方の食事の準備、お茶くみから一日が始まります。お茶の入れ方、給仕の仕方、挨拶がまずいと先輩からその場で「キョーツケェーイ!○×△」です。○×△はご想像にお任せします・・・(笑)。一年生は寮、職場、学校、天理市内で二年生、三年生、四年生の顔を見るたびに、「おはようございまーす」、「こんにちはー」、「失礼しまーす」の連発です。まるで予科練でしたね。
食事が終われば職場に移動。ここでもまた、先輩の有り難きご指導が待っています。私は大工だったのですが、一年生の時なんかは皆さんがイメージするような「大工さんの仕事」などさせてもらえません。鉋(かんな)の歯研ぎ、鋸(のこ)の目立て、材木の整理、トラックへの荷物の積み下ろしばかりでした。奈良盆地の冬は厳しく(寒く)、鉋の歯研ぎは指がシバレテ大変だったのを覚えています。何か失敗すれば、すぐに先輩から差し金(金属製の直角定規)でバシッでしたからね。イガグリ頭に筋状のミミズバレなんかは日常茶飯事でしたね。こんな傷だらけの頭や顔で、夕方から可愛い同級生の女の子がいる学校へ行かなくてはいけないので、本当に恰好悪かったのを思い出します。
夕方の17:00から始まる学校のほうは楽しかったですね。男女共学で定時制でも学年5クラスまであり、同じ環境の連中が集まり、みんな仲が良かったです。授業が終われば20時から21時まで1時間のクラブ活動が始まります。クラブ活動は夜間部とはいえ、どのクラブも下手な全日制のクラグより強かったですね。定時制の全国大会では優勝、準優勝するクラブがほとんどでした。私は職場の先輩がいたバレーボール部に強引に勧誘されてしまいましたが、元々自衛隊に入りラグビーをやるつもりでいたので四年生になるとラグビー部で練習をやっていました。クラブが終われば、また先の寮に戻り、クラブの先輩のマッサージ、ジャージの洗濯、そして正座させられての説教と、勉強をする時間などほとんどない状態でした。
一年生のある日、明けても暮れてもこんな”現代版予科練生活”が嫌になり、友人数人と脱走を試みました。・・・が、なにせ手持ちがありません。数百円のお金では近鉄電車に乗り大阪の友人の家まで行くのがやっとです。到底熊本など帰れません。仕方なく、また天理まで帰ったのを覚えています。
こんな生活を送ってきたので、後の自衛隊生活など全然楽でしたね。少々のことではへこたれない根性男(マン)に育ててくれた”天理高校に感謝”です!