居酒屋の大将”しょうちゃん”
私の高校の先輩に”足立さん”という方がいた。この先輩は天理高校U部(夜間部)のラグビー部員で、運動会のときにはスエーデンリレーのアンカーを走り、一番後ろ(ビリ)でバトンをもらいゴール前ではトップに立つぐらい足の速い人で、当然ラグビーでのポジションもポイントゲッターの快速ウィングであった。この足立先輩の弟が私と同級生で、バスケ部に入っていたが本当はラグビー部に入りたかったようだ。体が小さかったので入らなかったみたいで、この弟とは仲が良くいつも一緒にいるよう間であった。お互い4年生になると当然一緒にラグビー部の練習に行き、遊びの方も一緒に遊んでいた。弟とはこんな関係であったので足立先輩は、弟や私の、いや天理高校全員のあこがれの人であった。この足立さん、毎年正月に大阪の花園ラグビー場で行われる全国高校ラグビーにも出場しているし、スポーツ推薦で愛知県にある中京大学体育学部に進学した。当然クラブはラグビー部であり、大学に入るなり大学生の東西対抗戦が愛知県の瑞穂競技場で行われたが、この西軍のレギュラーにも選ばれていて、なんとその試合で当時日本代表の快速ウィングといつもマスコミから騒がれていた、早稲田大学の藤原という選手を後ろから追いかけて行ってタックル一発、倒してしまったのである。次の日のスポーツ新聞には”中京大学の足立(天理高校出身)、全日本の藤原を後ろからタックル”と書いてあった。
この足立先輩、大学卒業後には当時社会人ラグビーでは全国大会出場常連の”大阪府警機動隊ラグビー部(ジャージの色は白・黒基調のパトカーカラー)”に就職された。府警機動隊は関西社会人Aリーグに属しており、日本一の”近鉄”などと対戦していた。当時、足立さんの弟も大阪に住んでおり、弟と私は関西社会人ラグビーリーグが始まると機動隊ラグビー部の試合を応援しに花園ラグビー場へ足を運んでいた。そのとき、この機動隊ラグビー部のキャプテンを務めていたのが、今からこの話に出てくる居酒屋の大将”しょうちゃん(庄司さん)”なのである。
私の家は大阪南港と大分別府を結ぶ関西汽船の停泊地”大阪南港”である。当時の私は電車で仕事に行くときには住之江公園を経由して天王寺にある病院へ通勤していた。もちろん帰りもこの住之江公園を経由して南港へ帰るのであるが、たまには一杯飲んで帰りたいときもある。そこで立ち寄ったのが、”しょうちゃん”がいる居酒屋であった。縁あってこの店に入ると、体の大きい”もろ体育会系”の連中が飲んでいる。”大将もゴッツイ(イカツイ)男”である。とりあえずはビールでも一杯飲もうと、ビールを頼んで飲んでいると大将と客の声が聞こえてきた。どうやらラグビーの話をしているようだ。よく聞くとこの連中、府警の機動隊員にみたいだ。そこで大将に、「皆さんは機動隊のラグビー部ですか?」と聞くと、案の定その通りで、「足立さんを知ってますか?」と聞くと、大将が「足立、一緒にやっとったで。よォー知ってるで」とのこと。この大将、私と足立さんの弟が応援していた”機動隊ラグビー部のキャプテン、庄司さん”だったのである。
以後、私の行きつけの居酒屋は住之江公園のこの居酒屋となったのである。この店の良いところは”警察関係者が多いので変な客が来ない”ということで、”警察と自衛隊のラグビー部”ということで店の常連さんとはすぐに仲良くなり、いつもこの店で飲むことになった。
今でも大阪へ帰ると”必ず夫婦で顔を出す居酒屋”である。
《店の常連さんと住之江公園で花見》
常連さんと花見!しょうちゃん、酔っぱらって私に相撲をしようと云っています。この後、ファイトが始まり、ファイト後にはしょうちゃんは子供のように寝てしまいました(奥で寝ています)。
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