大阪工業大学の思い出

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 36歳から進学した大阪工業大学。この学校に進学した直接の動機は前にも書いたように、教員免許の取得とMRIの基礎(電磁気学)の勉強であった。それに加え大阪物療の周囲の先生方からの勧めもあった。私に大学進学を勧めてくれた先生の中で一番決定的(影響)だったのは、木村先生(前出)からの「長野君、今後ずっと教壇に立つのであればやはり大学だけは出ていたほうがいいよ。」の一言であった。理数系で解らないことがあれば、いつもこの木村先生や岩○先生に教えて頂いていた。木村先生のこの一言で、当時、岩○先生も通っていた大阪工業大学電気・電子工学科へ、「よし、俺も岩○先生を見習い後に続くぞ!」という気持ちで進学した。

 さて、技師学校(専門学校)を出た後の大学である。当時の工大には2年生への編入制度があったと思うが、私の場合は大学を出ることが目的ではなく、
”理工学部で理数学・電磁気学を基礎から学ぶこと”であったので、そんなことは気にも留めずに1年生の基礎教養から全て履修してきた。

 1年、2年次の授業は基礎数学、応用数学、解析(微分・積分)学、線形代数(行列・幾何)学、物理(力学・量子)学、化学、物理実験、電気・電子工学実験などであった。特に実験科目に関しては、「習った知識を技師学校の学生に還元しよう」という気持ちであったので真剣に取り組んできたと思う。

 3年次からは専門科目へと進み、各種プログラミング言語、電磁気学や電波工学、電子回路設計・計算などを学んできた。

 授業して頂く講師の先生方も元京都大学や大阪大学、東京工業大学の先生方であり、今まで習ったことがないような高等理数学を教授して頂いた。中でも電磁気学の角先生、力学の廣岡先生、量子化学の馬場先生、計測学の橋本先生などの授業には特に感動しました。当時の授業ノートはすべて大事に保管し、今でも見直しています。今では、このノートが私の唯一大切な宝物です。

 

    角修吉先生の”電磁気学ノート”           廣岡正彦先生の”物理学ノート”


 当初の目標であった教員免許(中学・高校技術工業T種免許)も取得し、今になれば苦労して学んできた分、これが自分の中で結構大きな自信につながっていると思います。

 医療系専門学校卒業生の大学への編入制度は、大学により若干異なると思われるが、大学の保健学科(放射線学科)への編入の場合は3年次へ、理工学部への編入の場合はたいがいどこも2年次への編入になると思われる。この理由は、先ほど理工学部の授業内容を紹介したように、医療系学科と理工学系学科のカリキュラムが大幅に異なることにあると考えられる。

 工業大学での学生生活であるが、”学校は休まない。授業には遅れない。(ついでに、仕事はよほどのことがないと休まない!)”がモットーの私である。これはほぼ実践できたと思う。「ほぼ」と書いたのは、当時の職場は病院であり、どうしても急患が入れば持ち場を代われないことがあり、夕方17:30から始まる授業に数回遅刻したことがある。こんなときには歳が15歳ほど離れた同級生に授業内容を聴き、ノートを写させてもらった。同級生のみんなには本当に助けられた。工大の夜間には公務員関係の職場(役所、交通局、警察、自衛隊、教員、病院など)から学びに来るものが多かったが、みんなすごく良くできるやつで、高卒で公務員になり職場の中で少しでも上のポストへいこうとする連中であり、授業に対するモチベーション(取り組み方)も高く、いつも我々は前のほうへ座るグループであった。授業中うるさい連中がいると、先生の代わりに私が注意していたような記憶がある。

 この同級生、私が大分へ引越しするときに「引越し代を安く上げるために、レンタカーを借りて自分でやる」というと、私の引越しがあることを皆で連絡し合って、大阪では荷物の積み込みを手伝ってくれて、これだけでも本当に助かったのに、荷物を下ろすために私が運転するトラックより先回りして、大分の家の前で私の到着を待っていてくれたのである。このときには”なんと頼りがいのある友人たちなんだ!”と、涙が出るほど感動した。
 中心となって動いてくれた堂島君(GE横河電機勤務)と神野(SE)さん、この二人、先日結婚式を挙げました。大分と東京であまりにも離れていることと、仕事の都合で式には行けませんでしたがこの場を借りてお祝いを申し上げます。

             
”堂島君、神野さん、どうかお幸せに〜!”

 今度再会したときには祝杯をあげましょう。


《卒業論文》

 さて、卒業論文の話になるが、私のテーマは”臓器別インピーダンス計測”とした。この研究を思い付いたきっかけは”胃癌の細胞増殖”にある。がんの増殖の仕方には色々あるが、特に「分化型の癌(塊状癌)は増殖するときに、その周囲の正常組織(細胞)と衝突反応を起こし癌の周囲が炎症を起こす。」といわれている。胃内視鏡検査でも早期癌を見つけるときには、この炎症により周囲粘膜より色変わり(発赤)した部分を探している。色変わりする部分があればその粘膜から組織細胞を採取し、病理学的に最終診断を行っている。
 そこで、炎症により浮腫を起こし細胞間の水分が多くなった部分は、正常粘膜よりも電流が流れやすくなり、インピーダンスが下がるのではないか?と考え、この粘膜に微細な同心円電極(外套針と内針)を刺し、生体には感じないほどの微小電流を流すことによりインピーダンスを計測しようというものである。インピーダンス値の差により単なる炎症か、癌による増殖かを判断しようとするものである。
 この実験は実際の生体でやるわけにはいかず”牛肉の組織別”で実施した。結果は”単位面積当たりの細胞数により明らかにインピーダンス値に差が出る”ことが分かった。
 なお、この研究は現在科研費の対象研究となり大阪工業大学大学院生体システム研究室(橋本成広教授)と関西医科大学とが連携して研究・開発を行っている。

大阪工業大学 卒業論文

 「臓器別インピーダンス計測」
 
 ”Measurement of cell distribution in organs with Lissajous of impedance.”

Shigehiro Hashimoto, Nobumichi Nagano, Yoshinori Murashige, Satoshi Yamauchi,
Proc. 5th World Multiconference on Systemics, Cybernetics and 7th International Conference on Information Systems Analysis and Synthesis, Vol.10, pp.443-447,



《私の財産》

 人にはお金や物には代えられない財産がある。私の大事な財産の一つに工業大学時代の友人がいる。友人たちの仕事は大阪府庁や交通局、大阪府警の交通管制室、工業高校の先生、企業へ就職した人ではGE横河電機、コナミ、ヒューレットパッカー、日立製作所などで、それぞれプログラム開発やSE(システムエンジニア)をやっている。
 我々放射線技師は病院の中で仕事をしているので、世間の情報が入り難く考えが世間とずれてしまうことがある。こんなときに、この友人たちの話を尺度に、我々も社会を構成する一構成員であると考えると、自分の考えを見つめ直せることが多々あった。
 理工学部出身者が学んだ授業内容・単位取得の難易度、そしてその知識を生かして企業に就職して行う物作り、黙々と何週間も何カ月も実験を繰り返して何度も失敗しやっと一つの製品が完成します。その苦労や労力からして理工学部出身者の報酬はあまりにも少ない。それに比べ今いる自分たち(病院関係者)の待遇を考えると、あまりにも恵まれている。いつもこんな思いをしていました。

 放射線技師や医療界の人との付き合いばかりでなく、色々な職種の友人がいることが私の大きな財産の一つである。

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