木村政継先生との出会い
私が大阪物療専門学校へ入学して2年目か3年目に木村政継(マサツグ)先生が赴任してきた。この先生、若いのに教壇では異様に落ち着いていた。我々のたいがいの質問には本も見ずに簡単に答える(今考えればかなり次元の低い質問もあったようであるが・・・)。
「この人はいったい何者だ?」と思い、よくよく調べてみればやはりただ者ではなかった。
京都大学理学部を出て大学院工学研究科放射線工学専攻卒の放射線関係にかけては”超エキスパート”であった。
当時の私はクラスでは準ボス格であったので、年上の悪役ボスM浦(大阪教育大学付属高校卒:彼の同級生のほとんどは医者ばかりであるが、この男は・・・)、K井(徳島水産高校卒:徳島では有名な・・・養成校)と京大生などは行ったことはないと思われる鶴橋ガード下のホルモン屋へ飲みに誘うことになった。まずは強面の我々など相手にされないだろうと思いきや、なんとこの先生”全然平気、OK牧場”で我々の誘いに応じてくれたのである。実はこの先生、我々のような悪学生と平気で飲みに付き合ってくれるような”気さくな先生”であった。後で分かるのだがこの先生、実は九州男児(福岡出身で現在は大分に実家がある)であり大の焼酎好き、本当に人間味のあるいい先生であった。
その後、私は父親と姿がダブるこの先生と生涯お付き合いすることとなり、後々この先生の知人たちに大切にされるとは思いもしなかった(このクダリ、また後の医療工学研究会で書きます)。
木村先生、今は大阪物療を退職され大阪市立大学大学院医学研究科で医学部の学生に物理学や放射線物理学を講義されている。数年前、先生の共同論文が英国の科学誌”ネイチャー”に掲載され、NHKのテレビに出演されたときも、我々は大喜びで「先生お祝いの席を設けましょう」と云うのに、「いや、騒がなくてもいいよ」と、本人は別段普通であり、「なんと肩の凝らない普段着人間なんだ」と感心した。
未だに放射線関係の勉強で行き詰まったときには、この先生に教えていただいている。勉強の話や世間話でざっくばらんに酒を飲み朝まで語り明かせる気さくな先生であり、私の人生(生き方)の師匠である。今では、この先生と知り合えたことが私の一番の財産である。
ネイチャーに掲載された木村先生の論文(PDFファイル)
Artemisinins target the SERCA of Plasmodium falciparum
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H23.01.02、別府市(西大分)の”天海の湯”にて。右二枚は木村先生の実家にて、バーベキュウ!
「長野君、研究はうまくいってるや?」、「英語で苦労しています」。こんな会話でした。お互い、若いころの面影はありますが白髪が増えています。(木村先生の大分の実家にて)
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