私の大阪物療専門学校の非常勤講師仲間に渡辺剛成(タカシゲ:放射線技師)という男がいる。彼は疲れ知らずの猛者であり、よく一緒に海や山へ繰り出した。彼は私より年下であるが私を呼ぶときは「おっさん」である。私も負けずに彼を呼ぶときは「バカしげ」、「タカシゲ」である。気心知れた私の大親友である。
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彼は大阪の浪速高校の出身であり、空手2段。大阪では相当強かったみたいで、当時の浪速高校には”やんちゃ坊主”で名の知れた、あのプロボクサー”浪速のロッキー、赤井英和”が在籍しており、この赤井英和と同級生、それも親友でありいつも一緒に行動していた男である。このバカしげ君の根性は相当なもの。
ある夏の日であるが、”日本海へサザエ取りに行こう”ということになった。メンバーは私、タカシゲ、羽場ちゃん、武岡君の放射線技師、野郎4人組である。行った場所は兵庫県の日本海側京都より竹野海岸というところで、ここの海へ潜ることになった。日本海の海はちょっと沖へ行くとすぐに下(底)が見えなくなるくらいのドン深になる。いくら泳げるとは言ってもやはり底が見えないと、何か海の中へ引き込まれそうで怖いものがある。私と羽場ちゃんは底が見える浅い範囲でサザエ取りをしていると、この男だけは平気な顔で沖の方へ泳いでいき、何とアワビまで取ってくるのである。通常、サザエは3〜5mの浅い範囲で取れるが、アワビとなると5m以上は潜らなくてはならない。私たちは30分も泳いで休憩モードに入っていると、この男だけ平気な顔で1時間でも2時間でも泳いている。当日の昼のおかず(貝)はこの男が一人で取ったようなものである。この男(タカシゲ)のタフネスさには一服した。
このメンバーで魚釣りにもよく出かけた。今ではもう体力が無くなり危ないことは出来なくなったが、この当時にはよく”磯釣り”に出かけた。ある年の年末、12月30日か31日だったと思う。タカシゲと”正月用の鯛を釣りに行こう”という事になった。出かけた先は和歌山県の由良の沖磯”アシカの親と子”である。渡し船で港から3〜4km先の沖磯に運んでもらい、10人ほど乗れる磯に上がり釣りを始めたのであるが、当日は朝から雲行きがおかしく、案の定釣り始めて10分もすると海がうねってきた。20分もすると波が足元を洗うようになり、「これは釣りどころではないな!」と思い帰る準備をしているが、なかなか迎えの船が来ない。こんなときの10分は異様に長く感じましたね。買ったばかりの釣り竿や道具は流されるし、迎えの船が来ても波のうねりで乗り移れないし、おまけに船頭は”船を岩場に付けられないので海に飛び込め”というし、”這う這うの体(ほうほうのてい)”で帰ってきたのを覚えている。
あとは私たちには”秘密のチヌ(黒鯛)釣り場”があった。大阪と和歌山の県境に”関西電力多奈川発電所”というのがあり、ここは火力発電所である。タービンを冷却するのに海水を汲み上げ、その海水を使って冷却し温水になると再び海へ排水していた。ある冬の日、テトラポットの隙間から湯気が上がっているのを見つけそこに釣り糸を垂らしてみると”チヌやコブ鯛などの大物が釣れるは釣れるは”で、二人でスカリいっぱい(30匹程度)のチヌを持って帰ったことがある。周りの他の釣り客はみんなびっくり眼で、「そのチヌ、何処で釣ったん?」と聞くのである。我々も意地悪で、絶好ポイントをほかの人たちには知られたくないので「あそこのテトラの奥の方!」と、全然違う場所を教えて帰ってきた。
最後は山登りである。私とタカシゲ、それに羽場ちゃんと三人でよく山登りにも出かけた。奈良県大峰山系の弥山(ミセン)、北アルプスの穂高、立山などへ登った。弥山に行くときには、決まってタカシゲの愛犬”ジョン(ドーベルマン)”も一緒であった。ジョンは傑作な犬で、子供のときから我が家へ遊びに来ていたので完璧に私のことを身内だと思ってくれていて、タカシゲより私の方になついていたと思う。山登りの帰りには決まって川へ飛び込んだ。我々が飛び込むと必ずジョンもついてくる。また家に帰れば、私とタカシゲ、ジョンは一緒に酒を飲みながら朝まで語りながらジョンの犬小屋に一緒に寝る仲であった。
あっ、そうそう「赤井君」の話。赤井君は渡辺君の友人であり、ある日私が渡辺君が勤める阿倍野区の病院へ遊びに行った時のことである。放射線科の技師室で渡辺君と将棋を指している男がいた。あれ、どこかで見た顔だなと思いよくよく覗いてみれば、”浪速のロッキー、赤井英和”であった。これが赤井君との最初の出会いで、タカシゲからは赤井英和は同級生だと聞いてはいたが、まさか病院のレントゲン室でタカシゲと将棋を指しているとは・・・。その後は、渡辺君と私、赤井君と赤井君の友人の松尾君(ボクサー)とで何回か飲みに行ったが、赤井君はTVのまんま。全然カッコをつけないし、何でもプラス思考のとても明るい男であった。一緒に飲んでいて結構楽しい思いをさせてもらった。いつか、赤井君の奥さん(よしこちゃん)には、私が酔ってドロドロにした服を洗って頂いた記憶がある。その節にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
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親友、渡辺剛成と赤井英和