大阪南港の名門ソフトボールチーム”パワーズ”
私の住んでいた大阪南港は団地の街で、この街の元気な大人たちは土曜日・日曜日になるとそのほとんどがソフトボールをやるために中央公園へ集まってくる。ソフトボールは健康的でお金もかからないし、なにより南港の人たちの親睦の場所であった。普通は、町内会のチームでおじさんたちが集まっているチームは”勝ち、負け”にはこだわらず、試合が終わった後の宴会を楽しみにやっているはずである。ところが、私が入った”パワーズ”は、監督・山西節彦(高知県出身)の負けん気がのり移ったプロ野球のようなチームであった。
この監督、背は小さいが肝っ玉だけは強くどんな相手にも平気で掛っていくような男で、大阪市大会の決勝戦でも一点差で負けていた我々のチームに”5回時間切れ負け”を宣告した審判の判定に納得いかず、”決勝戦は7回までである!”と、逆に審判にくってかかり意見が認められないと選手全員を集め、表彰式にも参加せずに全員を帰らすような男であった。(参考までに、当日の試合予定表には決勝戦は7回戦と書いてあった。ただ、運悪くこの日の試合は全てが長引き、決勝戦の時点で既に夕方であった。)
お金で動くプロ野球でもないのに”なぜそこまで勝ちに拘るのか?”と思う方もいるが、私もこの山西イズムがのり移り、”ソフトボール、されどソフトボール、試合をするからには勝たなければならない。”と思っている。
そして、これは”全力で掛らなければ試合をする相手に失礼である”の考えからなのである。
《鬼監督、山西節彦の名采配》
大阪市大会。相手は優勝候補の強豪チームで、我々が0対1の1点差で負けている。5回の裏でツーアウト、ランナー3塁。バッターは4番であった。点が入らなければ我々の負けである。ここで山西がとった策は、なんと”4番バッターに、一か八かのバントのサイン(とにかくフェアグランド内に転がせ!)”であった。相手チームも、まさかツーアウトから4番がバントするとは考えてもおらず1塁手も3塁手も下がっていたのである。この、4番バッターにツーアウトからバントさせる策がまんまと成功し同点となり、その後は連打が出て我々が逆転勝利したのである。
勝負師、山西節彦は冷静に相手チームの守備が下がっているのを確認し、3塁ランナーの足の速さに賭けていたのである。
大阪市大会 住之江区代表”パワーズ”
真ん中の黄色いジャンパーが有名監督の”山西節彦”。向かって左後ろが私で、その右の大男が”エースの森君(放射線技師)”です。皆、仕事はばらばらであるが最高・最強のメンバーである!
毎年、春から秋までの日曜日はほとんどといってもよいほど南港の中でリーグ戦が組まれている。リーグはA・Bに分かれていて、Aリーグは勝ちにこだわる若手チームが戦い、Bリーグはもっぱら私たちのようなおじさんチームが同じような年代でチームを作り、和気あいあいとソフトボールを楽しんでいる。”元阪神タイガースの上辻投手”も、今は我々のチームで一緒にソフトボールを楽しんでいる。B級のおじさんたちはソフトボールというよりは、試合後の”酒屋の前での1,000円出し宴会”を楽しみにソフトボールをやっている。
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